シラバス
授業科目名 | 年度 | 学期 | 開講曜日・時限 | 学部・研究科など | 担当教員 | 教員カナ氏名 | 配当年次 | 単位数 |
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導入演習 B | 2025 | 春学期 | 木1 | 法学部 | 谷口 博史 | タニグチ ヒロシ | 1年次のみ | 2 |
科目ナンバー
JU-AD1-001S
履修条件・関連科目等
条件は何もありません。
授業で使用する言語
日本語
授業で使用する言語(その他の言語)
授業の概要
言語能力こそ、今後、社会で活躍するための必須の能力です。
この授業では、書くこと、読むこと、話すこと、聞くこと、そして考えることの向上を目指します。
科目目的
私たちはよく「ふつう」という言葉を使用します。けれども、どのような根拠があって「ふつう」と「ふつうでないもの」を区別するのでしょうか。おそらく私たちの考え方は知らず知らずのうちに様々なものによって規定され限定されているはずです。そうした限定要因を知るために、そして私たちの考え方を動かしているものを知るためにも、この演習では、言葉を用いるということにもっと意識的になるよう試みたいと思います。まったく異なる物の見方、考え方に遭遇することは喜びであり快感です。こうした目標のもとで、話をし、本を読み、レジュメを書き、テーマを抽出し、討論を行いたいと思います。特に演習全体のテーマは設けませんが、物の見方を変えてみること、認識の自由を獲得すること、これが目標であり、そのためにはやはり、いまよりももっとよく聞き、もっとよく話し、もっとよく読み、もっとよく書けるようになることが必要です。
到達目標
大学の授業を理解するうえで必要な表現力と理解力を身につけることを目標とする。
授業計画と内容
前もって完全な計画を立てて、それをそのとおりに実行するということが私は大の苦手です。今までそんなことができた験しは一度もありません。また演習である以上、どういうメンバーが集まったか知る前に計画を立てるよりも、もっと柔軟に対処した方がよいと私は思っています。したがって計画は概略的なものになります。
第1週 演習の説明・準備
第2週 新聞の記事を用いて基本的な読むこと・書くことの訓練
第3週 人前で話すことの訓練 たとえば自分の高校や中学を説明するなど
第4週 書くこと、要旨を作成する
第5週 書くこと、自分の感想を述べる
第6週 読むこと、良い例、悪い例を用い効果的な書き方を学ぶ
第7週 考えをまとめること、表現すること、議論すること
第8週 書くこと、自分の考えを伝える、説得的な書き方
第9週 社会的な問題を選びグループで発表1 資料の使い方
第10週 社会的な問題を選びグループで発表2 話の始め方
第11週 社会的な問題を選びグループで発表3 効果的な展開の仕方
第12週 社会的な問題を選びグループで発表4 結論の提示の仕方
第13週 発表に関する講評、およびそれに関する討論
第14週 総括 前期の学習について振り返る
授業時間外の学修の内容
指定したテキストやレジュメを事前に読み込むこと/授業終了後の課題提出
授業時間外の学修の内容(その他の内容等)
授業時間外の学修に必要な時間数/週
・毎週1回の授業が半期(前期または後期)または通年で完結するもの。1週間あたり4時間の学修を基本とします。
・毎週2回の授業が半期(前期または後期)で完結するもの。1週間あたり8時間の学修を基本とします。
成績評価の方法・基準
種別 | 割合(%) | 評価基準 |
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平常点 | 100 | 授業と課題に取り組む姿勢をもとに評価する。 |
成績評価の方法・基準(備考)
課題や試験のフィードバック方法
授業時間内で講評・解説の時間を設ける
課題や試験のフィードバック方法(その他の内容等)
アクティブ・ラーニングの実施内容
ディスカッション、ディベート/グループワーク/プレゼンテーション
アクティブ・ラーニングの実施内容(その他の内容等)
授業におけるICTの活用方法
実施しない
授業におけるICTの活用方法(その他の内容等)
実務経験のある教員による授業
いいえ
【実務経験有の場合】実務経験の内容
【実務経験有の場合】実務経験に関連する授業内容
テキスト・参考文献等
適宜プリントを配布します。
その他特記事項
どうも世の中の多くの人たちは勘違いしているように思えるのですが、勉強は必ずしも自分のためのものではありません。「将来やりがいのある職につき、高い収入を得て、周りから尊敬され、豊かな生活を送れるように、いま我慢して勉強する」と考えている人はけっこういるようですし、多くの大人たちはそう子供たちに語ります。もちろん、それはそれでたぶん間違いというわけではないのでしょう。でもそうした考え方には重要な視点が欠けていると私は思います。たいせつな論点はもっと別のところにあるのではないでしょうか。
ごく簡単にいうなら、自分の大切な人を助けてあげられるように勉強はしておかねばならないのだと私は思います。おそらく将来みなさんの周りにはきっと幾人もの大切な人たちがいることでしょう。その人たちをサポートしたり守ってあげるためには、ある程度の知的能力(きちんと考えて正しく判断する能力)が必要になります。(本当の意味での、正真正銘の)愚か者であってはなりません。子供のうちであれば、周りの人たちが助けてくれます。でも大人になったら、今度は助けてあげねばなりません。そのためには体を鍛えて体力を養うのと同じように、学生のあいだに知的能力も訓練して高めておく必要があると思います。しかし、残念なことに、きちんと判断する能力を「直接」身に着けることはできません。世の中には、直接に学ぶことができぬものがあるのです。予習をし、授業を聞き、復習をし、問題集で練習し、試験にそなえる、というやり方が学ぶことのすべてではありません。こうしたやり方はすべて、「直接学ぶこと」というカテゴリーに含まれます。でも、これだけでは十分ではないということに、ぜひ気づいてほしいと思います。世の中には「間接的に」しか学べないことがあって、多くの場合、そちらの方が実は重要であったりします。例えば、何かを一生懸命やっていくうちに自然と気づかぬうちに身につくこと、この種のことがらを直接手に入れることはできません。何も見ていないときの自分の顔をリアルタイムで見ようとするようなものです。では、どうすればよいのでしょうか?