シラバス
授業科目名 | 年度 | 学期 | 開講曜日・時限 | 学部・研究科など | 担当教員 | 教員カナ氏名 | 配当年次 | 単位数 |
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入門・哲学/特殊講義(哲学) | 2024 | 後期 | 他 | 総合政策学部 | 横山 陸 | ヨコヤマ リク | 1年次配当 | 2 |
科目ナンバー
PS-PE1-0001
履修条件・関連科目等
授業で使用する言語
日本語
授業で使用する言語(その他の言語)
授業の概要
「私=自我」をテーマに、哲学の基本的な考え方を学んでいきます。誰でも一度は「私とは何なのか?」「私とは誰なのか?」と自問したことがあるでしょう。「私=自我」とは抽象的な存在ではなく、感情をもって、倫理的に、社会的に、政治的に他者たちと関わり合い、そのなかで「私」自身を理解するような存在です。講義では、近現代の哲学者たち(デカルト、カント、ショーペンハウアー、ニーチェ、シェーラー、ハイデガー、サルトル、アーレントなど)の議論を紹介しながら、「私」とは何か、そして「私」たちが生きている近代社会とは何かを考えます。講義を通じて、哲学とは決して独りよがりの思考ゲームではなく、(良くも悪くも)他者とともに、社会とともにあることを示せればと思います。
科目目的
哲学の基本的な考え方を理解し、総合政策学部の理念である「政策と文化の融合」に基づいて、哲学の観点から現代社会のさまざまな問題を批判的(=論理的)に分析し、その背景にある社会の理念や規範を問い直す力の習得を目指します。
到達目標
(1)哲学の基本的な概念や理論を理解し、自らの言葉で説明できる。
(2)それらの概念や理論を応用して、社会の諸問題を分析できる。
授業計画と内容
以下を予定していますが、参加者の人数・理解度に応じて、計画を変更することもあります。
第01回 「私」から出発することの不安(デカルトと夏目漱石)(イントロ)
第02回 理性としての「私」は何を認識しうるのか?(カント)
第03回 「私」と「他者」をつなぐ道徳の構想(カント)
第04回 「私」と「他者」の基盤としての形而上学?(ショーペンハウアー)
第05回 人生は苦痛に満ちている?ー幸福と自殺の哲学(ショーペンハウアー)
第06回 人生は芸術によって救済される?(ニーチェ)
第07回 道徳という虚偽、同情という欺瞞(ニーチェ)
第08回 いかにして共感を擁護しうるか?(シェーラー)
第09回 共感と羞恥の現象学(シェーラー/サルトル)
第10回 道徳を再建するー価値の現象学と幸福主義(シェーラー)
第11回 道徳を拡張するー哲学的人間学の構想(シェーラー)
第12回 本当の「私」のリアリティーとは?不安と死と全体主義(ハイデガー/アーレント)
第13回 本当の「私」の心の声?ー良心をめぐる問題(ニーチェ/ハイデガー/シェーラー)
第14回 「私」は「他者」と分かり合えるのか?(シェーラー/アーレント)
授業時間外の学修の内容
授業終了後の課題提出
授業時間外の学修の内容(その他の内容等)
授業時間外の学修に必要な時間数/週
毎週1回の授業が半期(前期または後期)または通年で完結するもの。1週間あたり4時間の学修を基本とします。
毎週2回の授業が半期(前期または後期)で完結するもの。1週間あたり8時間の学修を基本とします。
成績評価の方法・基準
種別 | 割合(%) | 評価基準 |
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期末試験(到達度確認) | 100 | 哲学の基本的な概念や理論を理解し、自らの言葉で説明できるどうか、また、それらの概念や理論を応用して、社会の諸問題を分析できるかどうか、を評価します。 |
成績評価の方法・基準(備考)
出席とリアクション・ペーパーの提出がそれぞれ3分の2を満たない者についてはE判定(不可)とします。
課題や試験のフィードバック方法
授業時間に限らず、manabaでフィードバックを行う
課題や試験のフィードバック方法(その他の内容等)
アクティブ・ラーニングの実施内容
その他
アクティブ・ラーニングの実施内容(その他の内容等)
リアクション・ペーパーと、それに対する全体に向けたフィードバック(総評)
授業におけるICTの活用方法
実施しない
授業におけるICTの活用方法(その他の内容等)
実務経験のある教員による授業
いいえ
【実務経験有の場合】実務経験の内容
【実務経験有の場合】実務経験に関連する授業内容
テキスト・参考文献等
教科書は特に使用しません。毎回、レジュメを配布します。また、毎回の講義で参考文献・図書を紹介します。
その他特記事項
授業や試験に関する連絡はmanabaのコースから行いますので、必ずリマインダーが受信できるよう設定しておいてください。(リマインダとは、manabaのコース上に連絡があると、学生の大学メールアドレスへ自動的に通知がされる機能です。)
哲学は実験や統計に基づいた「実証科学」ではありません。また、現実の問題への解決策を具体的に示すものでもありません。むしろ現実の問題の背景にある概念や理念を問い直して、これまでにない視点(物の見方・考え方)を示そうとするものです。たとえば、人間関係の悩みに対して、それを解決するための直接的な手段(セラピー、薬の処方、コミュニケーション・スキルの伝授)ではなく、「そもそも他者とは何なのか?」と問い直すことを通じて、問題を解決するための視野を広げてみせるものだと考えてください。
「物の見方・考え方の視野を広げる」ことは、複眼的な視点から社会問題の解決策を立案する「総合政策」の理念に欠かせないものです。それは(昔ながらの言い方をすれば)「教養」であり、(最近の言い方をすれば)「リテラシー」ということになるでしょう。「視野を広げる」ためには、抽象的な議論が必要となります。また、自分のもっている道徳観・宗教観・価値観を相対化する必要もあります。たんに「抽象的だから意味がない」、あるいは、自分の道徳観・宗教観・価値観と違うから「自分はそう思わない」で終わりではなく、新たな視点から物事を考えようとする姿勢が求められます。
なお、講義および教員の姿勢は決して「中立」ではありません。民主主義の基本である個人の自由と人権の尊重、および中央大学のダイバシティ宣言を前提としています。